こんにちは、手品店長です。
これを読んでいる方はメンヘラの方が多いでしょうか。メンヘラ、辛いですよね。
気分の上下は勝手に起こるし、できていたことができなくなるし…。
時にはお風呂やトイレすら面倒くさくなって、生活に支障が出ます。
もちろん仕事なんていけません。私もメンタルが原因で3度ニートになりました。
そんな私でも、断薬して10年以上経ち、普通のサラリーマンとして社会復帰できています。
その時の経験をお話します。皆さまの参考になれば幸いです。
私がメンヘラになったキッカケ
18歳ごろからその兆候はあったのですが、本格的に病んだのは20~21の頃です。
母親が働かなくなり、私が就職して家族を食わせる必要が出たため、大学を中退しました。
そこがとんでもねぇブラックで、何とかリスカとODでごまかしながら働いていましたが、
ある日みゆきちゃん(仮名)にフラれたことをキッカケに、完全に頭が狂います。
私はカッターを握りしめ、右腕に「M(仮名)」と彫り込みました。
今でもその傷跡はくっきりと「M(仮名)」と読めます。
ここに失恋・激務・毒親の三重苦を抱えた、リスカOD飲酒喫煙モンスターが誕生するのでした。
当時の生活スタイル
当然仕事なんて行きません。
日がな一日くわえタバコでパソコンにかじりつき、メンヘラブログ巡回かエロサイト巡回。
ただ、私は割とアクティブなメンヘラで、ドクターショッピングはしていました。
当時は色々と緩く、欲しいと言えば欲しいだけくれる病院が多かったのです。
絶対に処方通り飲まず、薬は溜め込むものだと思い込んでいました。
ハルシオン100錠集めたときなんて嬉しすぎて写真撮ってブログにアップしました。
当時ヤプログ!でやっていた「サイレントフレグランス」というブログ、
覚えている方がいらっしゃったら、正体は私ですので連絡ください。
そんな中、定期的にリスカやODで救急車に運ばれるイベントを起こしていました。
親はブチ切れて私を引っ叩いたり罵倒したりしますが、私はやめませんでした。
夢を諦め、就職するハメになった親に対する復讐と、
みゆきちゃん(仮名)を傷つけた自分への罰として自傷行為を行っていました。
転機①完全に死ぬ気の自〇に失敗する
最初の転機は、完全に死ぬ気で起こしたODが未遂に終わったことです。
目が覚めたとき、私は病院のベッドの上でした。日付は1週間ほど経過していました。
何が起きたのか、どうしてここにいるのかわかりませんでした。
ただ私は漠然と、「また失敗したか…」と思ったのでした。
看護師さんと帰る帰らないの押し問答を経て、なぜか迎えに来た母親に連れられて、
1週間ぶりの自宅に帰りました。
私の部屋は常に血の付いたティッシュや薬のシートが散乱しているはずですが、
とても綺麗に片付けられていました。カッターやカミソリも見当たりません。
嫌な予感が背中を伝いました。
薬やカッターは全部捨てられており、私のアイデンティティが崩壊しました。
私が愛したハルシオンも、安全ガードの無いカミソリも、よく切れるカッターもありませんでした。
こうして私は、
- 強制断薬
- リスカ禁止
- 常時監視
という環境に置かれ、今までの習慣からの離脱を余儀なくされます。
しかし親の情でしょうか、タバコだけは提供してくれていました。
強制断薬すると人はどうなるか
当たり前ですが眠れません。
今までだってロクに飲んでいなかったのですが、
眠剤も抗うつ剤もないので、常に不安で不眠です。
しかし人間不思議なもので、3日も4日も起きていると、突然死んだように眠ります。
私はこうして、数年ぶりの「自然な睡眠」を味わうことに成功しました。
そして、肝心の抗うつ剤ですが、これはなければないで何とかなりました。
もともと家で好き放題自傷してストレスフリーな生活でしたから…。
こうして、自傷行為と距離を置くうちに、私の中にある感情が芽生えます。
あれだけやって死なないなら、生きるか…
転機②衝撃的な美味さのオムライス
そんな生活を続けるうち、当時の友人が食事に連れて行ってくれました。
私は行ったことなかったのですが、町ではちょっと有名なオムライス屋さんでした。
そこで食べたオムライスが、人生ひっくり返るほど美味しかったのです。
まさにヘブン状態。あまりの美味しさに死ぬかと思いました。
凄い勢いで食べ終わって、一息ついた私はタバコを吸いながらこう思うのです。
生きてて良かった…
その友人が妻に、好きな食べ物の筆頭がオムライスに
余談ですが、その時オムライス屋さんに連れて行ってくれた友人は、
後に恋人になり、そして妻になりました。
メンヘラ期で一番めんどくさい人間だった私を見捨てずに、
辛抱強く支えてくれた妻には頭が上がりません。そして、オムライスは美味い。
転機③最初の社会復帰は友人の紹介で得たアルバイト
さて、自傷行為をしなくなったとはいえ、無収入であることは変わりません。
親や恋人の援助をいつまでも受けているわけにいかないので、働き始めることにします。
この記事に詳しく書きましたが、私は高校時代の友人のツテを使って、
レンタルビデオショップのアルバイトに滑り込みます。裏口入学です。
最高の環境と最高の人間関係に恵まれたおかげで、私は完全に立ち直ります。
職場に行けば常に友人がいて、皆仲良く、仕事も楽しく、和気あいあいと過ごせる。
私が欲してやまなかった「人との繋がり」が、確かにそこにありました。
このお店は後に倒産しますが、今でも最高の職場として私の胸中にあります。
倒産後もニート→再就職を繰り返すが、完全復活
倒産後は色々な職を渡り歩きながら、計3回のニート期間を過ごします。
本当に色々働きました。
- ラブホテル
- ゲームセンター
- ホームセンター
- コンビニ
- ネットショップの梱包etc…
そんな折、近所にできたドラッグストアにパートで滑り込みます。今度は正面突破です。
ここで勉強と読書に目覚め、1年かけて資格取得をし、
数年かけて正社員登用されることに成功します。
その後の私は、
- 新店立上げ5店舗以上経験
- パートから正社員登用されて最速で店長職へ
- パート・アルバイト面接1000人以上経験
- 販売コンクールで東海1位を3度獲得
- 行く店行く店で人気投票1位
- 絶大な信頼と影響力をもって店舗を支配
- 女性スタッフにめっちゃモテる
など、数々の才能とスキルを身に着け、自らその身を輝かせ始めます。
このドラッグストアとの出会いをもって私のニート期間は完全に終了しました。
音楽性の違いで転職し、現在は全く別の仕事をしていますが、空白期間はありません。
今日にいたるまで1日のニート期間もなく、私はもうすぐ10年を迎えようとしています。
まとめ
結局、私がメンヘラを脱出したキッカケを端的に言うと、
- 自〇に失敗
- オムライス
- 労働
の3つです。
正直言って、もう10年以上も前のことですし、常に薬でラリっていたので
記憶があやふやな部分がかなり多いです。
でも、大枠は合っていると思います。私は確実に、上記の3つの要因でメンヘラ脱出しました。
今でも不安定になったり、気分が落ち込むことはあります。
もちろん、死にたいときだってあります。
しかし、私はそれに対処する方法も身に着けました。
それについては当ブログで皆さんにシェアしているとおりです。
かつては人の助けを借りなければ、働くことはおろか二本脚で立つこともできませんでした。
そんな私も自分で職を探し、転職に成功し、普通のサラリーマンとしてやっていけています。
運がよかった・環境に恵まれたなど、色々ご感想はあることでしょう。
しかし言わせてください。メンヘラは、意思さえあれば脱出できます。
「生きてて良かった」と思える日が必ずやってきます。私はそれがオムライスでした。
この記事を読んで、皆さんのメンヘラ脱出の助けになれば幸いです。
少しでも勇気や行動力につながるよう、心を込めて書きました。
あなたの隣に、おせっかいなやつら──秘密結社リトルダンサーより🌟